見返りを提供するの前提で奢ってもらうの、もうやーめた!
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以前こんな話題で記事を書きました。
本当に当時の素直な気持ちそのままに書いたんですが、コメントで様々な意見をいただきました。肯定的なコメントもあれば、否定的なコメントもあり…。すべて目を通しています。
最近改めて自分の記事を振り返ってみたんですが、様々な意見をいただいたり、自分でも考え直したりして当時からまた気持ちが変わりました。以前の記事も引用しつつ、改めて「奢ってもらうこと」を考えてみました。
スタンスは変わらない
持論『デートで男がおごるのは当たり前』
言い方を変えれば、「女なんだから奢ってもらうのは当たり前」って100パーセントの気持ちで思ってます。決してバブル時代の人間じゃないですよ、私は。平成生まれの現役女子大生です。
正直、今も「男性が女性に奢るのは当たり前」って思っています。
だってやはり男女の賃金格差を考えると、どんなに頑張っても圧倒的に男性の方が稼いでいるんですもん。
(国税庁、民間給与実態統計調査の数値をもとに、筆者自身がグラフ作成)
統計を見て分かると思いますが、どの年齢でも女性の平均年収が男性の平均年収を上回ることはありません。年齢が高くなるにつれ、その格差は広がっていっています。数字は嘘をつかないので、私はこの統計を根拠として男性は基本的には女子にはおごってあげるのが当然だという考えを持っています。
男性もお金かかりますよね…
以前の記事ではこのように書いていました。
女は金がかかるの
常識的に考えて、絶対に女の方が生きていく上でお金がかかるじゃないですか。毎月の美容室代、ネイル代、マツエク代、化粧品代、服代、エステ代、脱毛代。その他もろもろ、着飾るための費用。毎月毎月めっちゃお金かかってます。
すみません、これに関してはイキがってました。男性もお金かかりますよね。いろんな方に「男性も自分にお金かけてますよ!」ってコメントいただいてもう1度よく考え直しました。
男性も当然身なりにもお金かけていらっしゃると思います。それにコメントでいただいたのは、自己投資は外見にだけでなく、知識や活動に投資することも含まれるという意見でした。これには深く納得させられました。
よくよく考えると、女性より男性の方が多趣味な方って多いとおもいます。例えば音楽が好きだったり、カメラが好きだったり、スポーツが好きだったり。それぞれを楽しむためにそれらに関わる知識をつけるために勉強したり、資格を取ったり。健康のためにスポーツをしたりと、それも考え方によっては自己投資ですよね。
当時の私は外見にお金をかけて自分を”いい女に見せる”、そのことだけが自己投資だと思っていました。内面も高めていくのが自己投資なんだと気づかされました。
自分にもプレッシャーをかけている
自分に自信がないから
最近は女性の方が「奢ってもらうのは申し訳ない」「奢ってもらうのは当たり前じゃない」「対等でいたい」って主張する方が多いですよね。なんっていうか、そいう方たちって優しいというか、すごいいい人っていうか。でも結局なんだろう。自分に自信がないのかなって思いますよね。
このスタンスも変わりません。「自信あります」と宣言し、自分に日々プレッシャーをかけて、おごってもらえるだけの女で入れるように自己投資しています。
一部で「夜の仕事は最底辺の仕事だから、誇りに思うべきではない」とコメントをいただきました。やはり世の中の目線ではそのように捉えられてしまうのかと、改めて客観的目線を持つことの大切さを感じました。
もちろん貴重なご意見としてそれは受け止めますし、多数派の意見が「水商売=悪いこと、恥ずかしい仕事」だと思います。ただ、私は事実あの仕事を通じて自分に自信をつけることができました。
キャバ嬢としてお客様の心を動かすのは想像以上に大変なことでした。ある意味時給なんてあってないようなものなので、事実上歩合制。お客さんを見せに呼べなかったらお金はもらえない。売上がなければ給料に反映しないような営業職に近いと感じました。*1でもその”営業”をしっかりできたから今こうして借金も完済できているんだし、それは自分自身を誇りに思います。
また、人を見る目も養えました。本当にいろんな方がいらっしゃったので、ゲスな言い方をしたら「誰がエセ金持ちで、誰が本物の金持ちか」というところも見抜けるようになりました。やっぱり身なり、持ち物、話し方、いろんなところで見えてきますから。
お金はすべてではないけど、やはり必要なものです。お金で愛は買えないけど、愛と同レベルくらい心を満たせるものはお金で買えると思っています。持っていて損なものではないです。だからこそそういう人を見る目って重要です。
それが自分のパートナー選びに役立つことを祈るばかりですが、、
まとめると、「自分に自信を持ってます」「自分好きです」と宣言することでプレッシャーをかけています。「顔」「スタイル」「話し方」そういうのがダイレクトで影響する夜の仕事の中で、それなりに稼げたことから自信がつきました。今は既に引退して、年をとっていくばかりですが、そうやって口に出して宣言することで”自分史上最高の女レベルをキープすること”を実行しています。言霊みたいなものです。
今の自分より「いい女」なんてこの世の中に何百億人といると思いますが、それでもなお宣言することで自分を高めています。心の中で嫉妬、憧れ、劣等感、そんなものと戦いながらも外では自信もって振舞っています。
そういうのウザイとか高飛車とかぶりっ子とか散々言われるけど、構いません。私は自分に自信を持てるような生き方をする。「おごってやって当然」って思われるようなレベルになれるように、自分なりのやり方で努力したいと思います。
見返りを提供するの前提でおごってもらうのや〜めた!
大きく以前と心境の変化がありました。
セックス好き、セックスがめっちゃ気持ちよくてやめられないなんてのは、圧倒的にまだまだ男性が多いわけで。女性でマジで自腹切ってもセックスしたいなんて思う人ほとんどいないですよね。別にヤリモクでも構わないけど、たいしてセックス上手くもないくせに、やりたいならご飯やホテル代ぐらい出せって感じですよね。
以前は「やりたいならおごれ!」みたいな感じで過激に書いてましたがwwこれってある意味自分自身からしても「自分を差し出しますよ」っていうのを分かった上での発言でしたね。見返りを求めるの前提ではなくて、見返りを提供するのが前提でした。
ただ、この考え方すごく疲れます。ただただご飯に行くたびに、おごってもらうたびにどのタイミングで見返りを提供すれば良いのか、どうしたらいのか、見返りいらないのかとかいちいち考えるの、疲れちゃいました。
私は基本的に外食まみれな女かつ寂しがりやなので、ご飯を1人で食べるのが嫌なんです。寂しいんです。人に必要とされたいがために、そういう寂しさを埋めるために、そういう屈折した考え方をしていたのかなって思います。
でも人に必要とされるって、そういうことじゃないですよね。セックスを提供することが全てではないとわかりました。
この心境の変化の原因は、ある男性から「見返りを求めて奢るような男と付き合うのはやめたほうが良い。俺が今日ご馳走したのは、昔自分が若い時に散々おごってもらったから、次は自分が奢る番だ。」って言われたことです。
冷静になってその意味を考えた時に、確かに今まで散々ご馳走になった人は基本的に年上だし、これから先もその年齢差は埋まらない。今後も関係が続く限りはおごってもらうことの方が多いかもしれないから、私が見返りとしておごり返すことはほぼできないかもしれません。
でも、私自身が自分より年下の人間に同じようにご飯を食べさせてあげることできるようになるかもしれません。そうすれば実際にその男性には直接見返りを提供できなくても、もらった分を別の人間に与えることはできます。そういうのも1つありかなって思いました。
こればっかりは普通の男女の関係ではなかなか難しいかもしれないけど、こういう考え方ができる男性が本物なのかな、本当の魅力的な男性なのかなって思いました。
伝わっているかな?すみません、言い回しが複雑で。でもなんだかそれ以来、大きく考え方が変わって気持ちも楽になりました。無理しておごってもらわなくてもいいやって。ああいう記事を書いた手前、必死で”おごってくれる人”それだけを求めていたのかもしれません。
最後に
変わった気持ちもあれば、全く変わらないところもありました。以前自分が書いた記事を改めて見直すって結構面白いです笑
見返りを提供するの前提で奢ってもらうのをやめてから、非常に気が楽になりました。何もなくてもご馳走してくれる人はご馳走してくれるし、してくれない人はしてくれないし。
当時はおごってくれない人に対して、ぐちぐち文句を言っていましたが、今は違います。心の中では当然「男性とのデートなんだから、おごってもらって当たり前」って思っています。
でもおごってくれなかったからといって文句はありません。そういう人なんだな、それで終了です。もう会うこともないでしょうから。見返りを求められても提供はしません。疲れちゃうので。
本当、いつになってもわがままな考え方ですが、これがやはり素直な私の気持ちなのかなって思います。できるだけ、綺麗でいい女でいたい。ちやほやされたい、必要とされたい。それが全てなのかもしれません。
また不快な気持ちになった方すみません。
参考:
今日も読んでいただきありがとうございました!よかったらハテブお願いしますね♪
*1:実際に金融機関で営業職も体験した上で、率直に思ったことです。